カテゴリ「歴史人物霊視」の一覧逆順[10件]

呂雉(呂太后) と ”人豚” のはなし・・

カテゴリ《歴史人物霊視

No.5

呂雉(呂太后)というのは、中国・漢の時代の高祖(劉邦)の皇后です。


呂雉(呂太后)といえば、
歴史上超有名なエピソードがありますよね・・
皇帝の寵愛を奪った戚夫人への報復から、
「戚夫人の、両手両足を切断し、目耳声を潰し、厠に投げ落としてそれを人彘(人豚)とした」
(『史記』巻九・呂太后本紀「太后遂断戚夫人手足、去眼、W耳、飲(病音)薬、使居厠中、命曰人(豚)」)




パラレルの神様(天界・神界)の伝達とヴィジョンによる呂雉(呂太后)は・・・、
お堅い、義理堅い性格。そんなに頭の良いタイプではない。
男性に対し、姉さん女房的な気を回すタイプ。
同調により見せてもらった実際の容姿は、
眉目秀麗なほう。かなり中国的美人なほう。





でね、呂雉(呂太后)が本当にそのような残虐なことを実際にやったかどうかどうかですよねっ・・。





ま、まあ、ふつう考えると・・ 皇帝の寵愛を奪った憎き女ではあっても、人間てそこまで残酷になれるんでしょうか・・??
いくら恨んでいたって、
自分は着飾ってきれいにして権勢を奮い、片や、かつての仇敵がそのようにみすぼらしく落ちぶれて牢に繋がれた、というだけで、もう充分ではないんでしょうか・・
(*それにそのようなことを実際にしたとなると、パラレルの裁決がとんでもないことになる・・・(゚Д゚;)汗; *つまり、自分が生きている時か亡くなって心霊世界に行ってからか転生してからか、それはその人の愚行内容にもよりますが、自分がしたことと「全く同じ経験」(シチュエーションは異なるでしょうが、同じ苦痛を味わう)をしなければならないからです・・ *詳しくは、メインブログの記事『輪廻の愚行:兎(うさぎ)小屋を襲ってウサギを惨殺した青年の話』などをご参照ください。)





パラレルの伝達によると・・

*「呂雉(呂太后)は、猫の死体をキレでくるんで、恵帝に見せた・・」というのですよね・・ (えっ (゚Д゚;)! ネ、ネコ・・・??)





でね、

もっとつっこんで真相を知りたいから、
呂雉(呂太后)と恵帝の霊とも同調して真相を聞いてみた・・!






呂雉(呂太后):「ふん・・ ちょっとイタズラをしてみただけなのだ・・。」
(↑ちょっとこれだけだと分からないので、恵帝に聞いてみる・・。)





恵帝:「・・・ もう身の毛もよだつ恐しい話で、、ェっっっっ てなりそうになって、すぐにその場を離れてしまった・・」
私:「あなたはそれ=人豚を見たのですか・・? その時の様子を詳しく話して。」
恵帝:「それは、薄暗く、罪人の死骸(ドクロなど)が転がる、厠の横にある、最も劣悪で汚い酷い牢で、箱の中に入れられてきれに包まれたモノがあった・・」






呂雉(呂太后): 「あのように小さくなってしまった・・」






* んーーっっと つ、つまりですね  話をまとめると、

恵帝はその時、呂雉(呂太后)から、何やら薄暗い厠の横にある最も臭くて汚い罪人の牢に案内されたが、
気の弱い景帝はその「戚夫人の、両手両足を切断し、目耳声を潰し、厠に投げ落としてそれを人彘(人豚)とした」の話だけでビビッてしまい(←いや、ビビらない人はいないでしょう・・その刑罰の ”発想” のほうが怖い・・ @@; 怖汗;)、
ェっぅぐ ・・となって、やんごとない高貴なヒトだから、呂雉(呂太后)の、
「あのように小さくなってしまった・・」のコトバの後、
恐ろしさのあまり、
一刻も早くその「薄気味悪いモノ=人豚」とその臭くて薄汚い劣悪な場所からほうほうの体(てい)で一目散に走って逃げ帰ったのだとか・・・


「あーーはっはっは・・・ (呂雉(呂太后)の笑い声が響く・・)
(↑けっこうブラックユーモアなヒト・・?)

*↑このあたりのビジョンから、刑吏などから、そのような人豚伝説が広まったんじゃないでしょうか。。





つ、つまりね・・
恵帝は、その人豚(きれにくるまれた一物)を見たことは見たのだけど、日の光の届かない暗がりで、そのように刑罰により切り刻まれたというヒト?らしきものを、見たことは見たのだけど、恐ろしさのあまり、あ、慌てふためいて逃げ帰ってきてしまったので、いわゆる人豚を「明るい場所でしっかり検分 (※第一、やんごとなき若い帝がそのような不気味なものに近づいてきれを触ってどけてみたり。。 などできないでしょう。。)」したわけではない・・・





その後やや日をおいて、
「そのような残酷な刑をしたあなたは私の母親ではない・・・」
と、恵帝と(呂雉(呂太后)の間に親子の溝ができたのだとか・・・
(そりゃ そうです・・)






ま、まあね。。
そっ、そっかーー、でもなんか安心しました(家族スピさん一同)。
あのような残酷話が真実ではなかったようで・・





でね、その恐怖の ”人豚伝説”なんですけど、
司馬遷の『史記』にそのくだりが書いてあるらしいのですよね・・。

(*司馬遷さんは、このブログ企画をたてた時から、同調させてもらって、すぐにいろいろ聞けるよう【ご意見番】みたいな形ですぐに同調できるよう、御霊を近く(※幽界) に呼ばせていただき滞在してもらっています ^^/)


司馬遷さんは、武帝の時代の人ですから、呂雉(呂太后)が生きていた時よりも後の時代(武帝)の時代の人なんで、
宮中から発したその ”人豚伝説”が口伝えに人々の間に伝わって、その噂が一人歩きし、後の司馬遷さんが、それを書いて、呂雉(呂太后)の恐怖列伝、、みたいな形で、今だにそのように語り継がれている・・
どうもそのようなんですよね・・。
司馬遷さんも、人豚のくだりについては、語り継がれていることを書いたみたい。。






パラレルの神様(天界・神界)の神様曰く、
「確かに呂雉(呂太后)は、戚夫人の外戚を粛清したりと、確かに悪い事もしたが、
そのお堅い・義理堅い性格から、
罪人には刑罰を持って対処する、というのを忠実にやっただけ、なんだとか・・。
第一、そんな ”人豚”のようなことをされたら、人は気が狂って憤死してしまう・・・。」




パラレルの神様(天界・神界)がおっしゃるには、
「確かに呂雉(呂太后)は、賢い女人ではないが、子供愛にあふれた母親・・・。
だからあえてその人豚を見せたの・・・。
一国の王者たるものそのくらいのことをしなくては王座は守れないのだ、と教えるためにやったのだとか・・。
気が弱く覇気の全くない恵帝を奮い立たせる教えのためにやったのだと・・。」
(気弱で意志薄弱、グズな景帝をホンモノの男(皇帝)にするため??にやったのだとか(ナニが「ホンモノの男」なんだろーか)―― ?





・・というか、王権というのは、ある程度、王統を守るよう、敵対する者を排除していかなければ、守れないし、世が安定しないモノなんでは・・?




恵帝は早い時期に亡くなっており、(私は)もしや恵帝と不仲になった呂雉(呂太后)が殺めたのでは・・・?なんて一瞬チラと頭をかすめましたが、
まったくそうではなく、愛のある母親だったのだということです。
恵帝は、生来体が弱く病弱な体質であったため、病気で亡くなられたようです。
(※恵帝は幼少時よりかなりやさしい性格で、”恵帝より上座を得た庶長子の劉肥に対して呂雉が毒杯を与えようとした際には、その毒杯を自身が手に取って救う(呂雉が慌てて毒杯をこぼし未遂となった)”というエピソードもあるように、善の人だったわけ。
そのような性質は、心霊世界では愛されます。)




最後にパラレルの神様から見せてもらった呂雉(呂太后)と恵帝のヴィジョンは、
【ごちそうを一緒に睦まじく分け合う幼少時の恵帝と呂雉(呂太后)親子のほほえましいヴィジョン】

でした・・・!




クレオパトラは絶世の美女だったのか・・・?!

カテゴリ《歴史人物霊視

No.6

前回投稿からだいぶ更新が滞り、今回この記事なわけですが・・・



さんざ悩みました・・! (というのは、エティースは、40も過ぎたいいおばさんになってから霊能が開いたタイプで、今現在霊体験は若干5年超・・ 来年の2月でやっと丸6年という、霊体験に関して若輩者で、自身の過度に慎重すぎる性格や技術系の職業病的性格などもあって※詳しくはメインブログ『前世占い師エティースの心霊ブログ』をご覧ください・・!、いい加減なことは言えない性格をしております・・。で、”霊視”というのも、これまでの霊体験の中で伝えてもらっていたことはあっても、なんせ ”物証(証拠)”を提示できない世界の話なので、いったいどうしたもんかさんざ悩みました・・!


そのような状況にあり、私自身の今世の霊の世界に関する役割は、”「審神者(サニワ)※心霊世界の伝達者」”と伝えられており、ブログで発信はしておりますが、
なんせ心霊世界の経験年数が少ないことや、今後の方向性も模索中の審神者(サニワ)につき、まだいろいろと確信を持てないこともあるため、鑑定等はまだやっておりません。
(超〜超慎重派なため!)


で、せっかく作ったこのブログも、一時はいっそのこと閉鎖してしまおうか。。と決めて天界・神界の神様にその意を伝えたところ、大変お怒りになりまして・・

・・・そんなくだりもあって、ずいぶん悩み、それで更新が滞ってました・・)


それでね、なんで今回記事をアップできたのかというと・・・
(アップ予定の記事は、実はもういくつか内容を伝えられていたのですが、
わたしが超〜慎重派なため、ストップをかけていたのですね・・)


そうやっていっそのことやめてしまおうと決めて何日か経った後、
ある日、
とてもよい方法を思いついたのです・・。


それは・・・

霊視実験(笑;)




今回の記事は、顔のモンタージュなので、(そのようなモンタージュは都度都度ビジョンと天界・神界の神様や精霊様が伝えてくだる霊聴による特徴によって描画されます)




※今回わたしが記事をアップしようと決心したその ”霊視実験”の背景は・・、といいますと・・、私が顔を知らない歴史上の人物を先に天界・神界のほうで顔をビジョンにより見せてもらい、
その後でわたしがネット検索をかけて、写真なり絵姿がないかを探す・・
ある日、そのようなことを思いついたのです・・☆
そしたら神様も「それはいいアイデアだね。」と。
精霊さん達が真剣に張り切って検証実験に協力してくださいました・・☆!
もちろん、昔の人などは時代が古くてそのような記録が残っていない人も多いですが、
何人かをピックアップして検証したところ。。


・・・けっこうね・・
(わたしがこうやって記事をアップしているのだから、そうなのかもね、と思われるかもしれませんが・・)
天界・神界から伝えていただいたビジョンとその顔的特徴が。。


「けっこう (特徴が)よく似ている・・ ・・。」




と私が判断したところにより、今回記事をアップすることに踏み切りました・・!
(記録が残っていない人もけっこういますので、記録が残っている人物に限られますが、
以下の5人※明成(ミョンソン)皇后、淑嬪 崔氏=トンイ、禧嬪 張氏=チャン・ヒビン、師任堂=サイムダン、鄭蘭貞=チョン・ナンジョン)で検証してみました・・! 先に知ってたんじゃないのォ〜?と言われてしまえばそれまでなんですが、
一応、そのような方法論をもって検証結果、記事をアップすることに決めましたので、
ご参考にしていただければ・・と思います)

(※参照結果が韓国人ばかりでゴメンなさい・・! エティースは歴史は学校で勉強した以外特別詳しくなく、霊能の扉が開いてから、同居の家族スピさん達との出会い以降、韓国歴史ドラマや中国歴史ドラマなどを通じて共通の趣味としてここ数年興味をもったばかりです)

★心霊世界にはいろいろな境界がありますが、
このような人物のビジョン霊視伝達は、天界・神界からの伝達になります・・!★






で、今回のお題・・『クレオパトラ』・・






古代エジプトの女王クレオパトラは、様々な逸話(「政治的利益のあるカエサルの前に絨毯にくるまれて運ばせて身を投げ出した」「ヴィネガーに真珠を溶かして飲んだ」「国が滅ぼされた際に、コブラに噛ませて自殺した」・・・など)絶世の美女として、いろいろな物語や映画などで描かれることが多く、現代人にとっても、非常に印象深く興味深い人生ですよね・・。





そんな ”絶世の美女” クレオパトラを


ビジョンにより視せてもらったお顔の第一印象は 。。。









「?!・・っっ ・・ な なんか  ふ、ふつう・・! の顔。。。 え〜〜〜っ」






かな〜り地味でふつうな顔立ちでびっくりしたのですが。。Σ(゚Д゚)

(クレオパトラはエジプトの女王ですが、ギリシャ系というのは、知っている方は知っているかと思います。

ですが、紀元前の人間の顔で、私自身の前世も紀元前数百年代のギリシャ人ですが、ビジョンにより見せてもらった自分の前世の顔が、クレオパトラとはもちろん顔の感じは違うにしろ、外人なのにやっぱり地味でふつうっぽい。。 今度機会あれば似顔絵をお見せします・・

もしかしたら、紀元前の人間の顔というのは、外人でも今よりずっと地味顔なのかもしれません。。

全員が全員ではないにしろ。。

やはり人類の顔は進化しているのでしょうね。。)






天界・神界が伝えるクレオパトラの顔の特徴:

美人とかじゃなく、ごくふつうレベルの顔。地味なおとなしい顔。

目は小さ目(奥目で引っ込んでる)、鼻は長い。特にこれといった特徴のない”ふつう”の顔。
一番の特徴は「面長の長い顔」。スタイルがすごくよい。

わがままな性格。。(為政者の娘ならありがちです・・)

でもヴィジョンのお顔立ちはすご〜くやさしそうなおだやかそうな顔立ちなの。。





うーーん。。 なるほどぉ・・

まぁ、確かに顔が長いとスタイル良さそうですよね・・。






ま、まあ、霊視のビジョンによれば、クレオパトラの顔は、

ひと言でいうと。。




「地味なごくふつうの顔・・」



_________________________________





そ、それがですね。。

ところが ところが っ ・・

エジプト風のあのドギツイおきれいな目の化粧を施すと。。




あーーーら ふしぎ・・

おめめバッチリの、ものすごい美人!@@ @@;/になるのです。





た、確かに、上のヴィジョンによる似顔絵にその目化粧を施すと・・




確かにすごい美人になるかもしんない・・ 顔立ち的に。。





クレオパトラの彫刻は、海外のサイトひっくるめて検索すると、ざっとたくさん出てくるのですが※ハトシェプストさんやずっと後の時代に作られた?らしき?ものも混じってきて汗 Σ(゚Д゚;)なんですが、

一応紀元前に作られた、というクレオパトラの象もいくつかあってどれも同じではないし、顔の感じもまちまちです。。

まあ 見比べてください いろいろあるから ・・

みんな感じが違うの。作者さんも皆ちがうのかもしれませんが・・



https://images.search.yahoo.com/search/images;_ylt=Awr9F6.AYFNdpugAKgCJzbkF;_ylu=X3oDMTBsZ29xY3ZzBHNlYwNzZWFyY2gEc2xrA2J1dHRvbg--;_ylc=X1MDOTYwNjI4NTcEX3IDMgRhY3RuA2NsawRjc3JjcHZpZANfa3ZfdGpFd0xqTEJia201WFZOTC5nQUFNakU1TGdBQUFBQjdQbGZ5BGZyA3lmcC10BGZyMgNzYS1ncARncHJpZANEWVJSQzVPU1MzaVZLazkwUlZRX0FBBG5fc3VnZwMwBG9yaWdpbgNpbWFnZXMuc2VhcmNoLnlhaG9vLmNvbQRwb3MDMARwcXN0cgMEcHFzdHJsAwRxc3RybAMyOARxdWVyeQNjbGVvcGF0cmElMjBzY3VscHR1cmUlMjBBLkQuBHRfc3RtcAMxNTY1NzQ1Mzk2?p=cleopatra+sculpture+A.D.&fr=yfp-t&fr2=sb-top-images.search&ei=UTF-8&n=60&x=wrt

霊視ビジョンでは、素顔の目は小さ目です(奥目で引っ込んでる)。。 エジプト化粧をした目は当然とても大きいですが。。)




ビジョンと像で共通しているのは、縮れ毛と長い鼻。。

(ただ像もどういうところを表現したものなのかが疑問ですよね。。 目の化粧をした状態を現したものかどうか。。 はたまた、 ”典型的なギリシャ美人風※鼻がデカく目がデカい” を投影させたか・・ 為政者だから、当代随一の腕のいいギリシャ彫刻家に美しく作らせた、というのは十分あり得るかもしれません・・。

というか、美人に作らないと身の危険があるとか・・ まぁ あるかもです そういうの・・





(私):「あのぅ・・ な、なんだかね、ビジョンでは、すごくふつーーな感じの素顔のお顔立ちと思うんですけど、このお顔って、当時の美人基準ではどういう風に(皆に)思われていたのですかね・・??」

(天界・神界の神様&精霊様達):「それでも、かわいいあか抜けたタイプ、と思われていたかも(為政者の娘で王族だし・・)。

当時の美人の基準は、”鼻が「長い」”こと(※注:「高い」ではありませんよ。目の下から鼻の先までが長いことが美人の条件だったみたい・・)」

(天界・神界の神様&精霊様達):「それに、7か国語を自由に操った。。、等々の逸話があるが、どれも挨拶程度、だったのではないかということ。。」






ま、まあね。。

あくまで、こちらの霊視によるヴィジョンであって、

(また、みなさんがどう思われるかは分かりませんが・・)




研究者によっては、

「クレオパトラは、実は、美人ではなかった。」

などと言う人もいますし。。






・・まぁ。。 いずれにしろ、人々の想像力を掻き立てる歴史上の有名な女性なわけですよ・・





皆さんも、紀元前のギリシャ系エジプト女王に思いを馳せてみてください。。





参考資料:人骨などから復元するのありますよね・・ 最近すご〜く気になります(他の人も混じってますが・・)↓

https://images.search.yahoo.com/search/images;_ylt=Awr9JhXcNmpdvk4ACY.JzbkF;_ylu=X3oDMTBsZ29xY3ZzBHNlYwNzZWFyY2gEc2xrA2J1dHRvbg--;_ylc=X1MDOTYwNjI4NTcEX3IDMgRhY3RuA2NsawRjc3JjcHZpZANoajNaN0RFd0xqSURVSE9tWFVtVUJ3bERNakl3TGdBQUFBRHptUlZjBGZyA3lmcC10BGZyMgNzYS1ncARncHJpZANKMGhWWXdDelNnT1pZQmRSLjRtMXlBBG5fc3VnZwMxBG9yaWdpbgNpbWFnZXMuc2VhcmNoLnlhaG9vLmNvbQRwb3MDMARwcXN0cgMEcHFzdHJsAwRxc3RybAMzNgRxdWVyeQNDbGVvcGF0cmElMkMlMjBmYWNlJTIwcmVjb25zdHJ1Y3Rpb24EdF9zdG1wAzE1NjcyNDE5ODI-?p=Cleopatra%2C+face+reconstruction&fr=yfp-t&fr2=sb-top-images.search&ei=UTF-8&n=60&x=wrt




『麗王別姫 花散る永遠の愛』

カテゴリ《歴史人物霊視

No.7

中国歴史ドラマ『麗王別姫 花散る永遠の愛』は、

テレビ(BS)や動画配信サービスなどで観ることができます。
動画配信サービスで観たい場合、多くの動画配信サービスで1ヶ月程度の無料お試しをやっているところが多いので、お目当ての作品をやっているかどうか確かめることができます。








『麗王別姫 花散る永遠の愛』は、

唐の時代、玄宗・楊貴妃 〜 粛宗 〜 代宗、の時代に起こった安史の乱などをテーマに描いた物語なのですよね・・。




主演のジン・ティエンさんや女性陣の ”唐美人” の装束がとても美しかったし、李淑を演じた俳優さん(アレン・レンさん) も劇中のイメージが合っていたかと思います。

まだお若い俳優さんなんですけど、

後半の感情の演技表現がすごく良く表現できていて演技がすごくよかったですよね。

(最初、李淡役に決まっていたようですが、監督から、李淑のほうがイメージが合っているからと、そちらに代わったそうなんですよね・・驚)

戦闘シーンの立ち回りもとてもリアリティがありましたし、

この時代は、こんなに動乱の時代だったのかと思いました。





●沈珍珠

伝えられる史実によると・・、

沈氏は、安史の乱にはじまる動乱期に行方不明になり、代宗(李淑)と二人との間の子である李かつ(後の徳宗として即位する) が懸命に探し回ったにも関わらず見つからなかった・・、

と伝わっているようです・・。





霊視によれば・・

沈氏がなぜ見つからなかったのかというと・・

行方不明後に、世をはかなんで出家し、名乗り出なかったから

沈氏自身の御霊がそれを伝えることをとても嫌がっているため、

私も絶対にお約束したためその内容は書きませんが、

要は、世をはかなんで出家し、所在を知られたくない事柄が沈氏の身に起こった・・、

ということです。




母親として、お子さんである李かつが徳宗として天子となったのが、せめてもの救いだったのかもしれません・・。




沈氏と李かつ(徳宗)さん、お二人の御霊を引き合わせ、御供物をささげ読経をあげました。

(お二人は、一緒にいて ”空白” となった時を埋め合わせたいようです・・。)






●李淡

粛宋の第3子で、張皇后と李輔国の陰謀により誅殺されてしまう。

李淡は実際の人物ですが、

劇中では、夫人の慕容林致という悲劇的設定の人物が設定されていますが、実際の人物ではなく、物語を盛り上げるための架空の人物と設定です。





実は、私が今回のテーマで一番興味を持ったのは、この李淡という人の誅殺の件だったんですね。

ですけど、パラレル・ワールドの霊視伝達によれば、

真実が明るみになると非常に嫌がるこの件に関わっている重要な人(※注:もちろん、亡くなっている人です)がいるため、その件に関する事の真相はここでは伏せておきます。

それは、身近な人物です。







●周辺部族との関係


唐と周辺異民族・回こつとの友好関係が良く描かれていたのが良かったと思います。

葛勒可汗・黙延啜役の于小偉(ユー・シャオウェイさん、わりと中高年? 遅咲き?) が友情を好演してらしてステキでした。スピさん達も友情の演技にハート





●麗王(李淑=代宗)と独鈷貴人



この物語は、『麗王・・』とタイトルされるとおり・・





李淑 (代宗)





確かに、古代の人で、絵姿でこのような感じだとかなりの男前なのでは・・?、と思いますよね・・。

(霊視ヴィジョンでは、左目と鼻の間に目立つほくろがあり、仁王様に似た若干強面の顔立ち・・。絵姿はずいぶん上品にきれいにインテリ気に修正させたようです。あくまで、霊視ヴィジョンではありますが、見た目の顔は、まさに強面の ”武人” という顔立ちです。)

劇中で描かれる李淑のイメージ像は、一人の女性を一途に愛するタイプ・・でしたよね・・。

霊視により伝えられる実際の李淑はちょっと違うみたいで、、




・・女にモテる、かなり派手な豪胆な ”伊達男”。・・・




だそうです・・。 なるほど・・。






ちなみに、

独鈷貴人(独鈷精遙)は、劇中ではさっぱりした豪胆な武人、として描かれていましたが、

霊視では、

実際は、とても華やかで派手で女性らしい貴人で、武人なんてとんでもない・・。

非常に栄華を極めた高貴な女性だったようです。

劇中では、李淑を庇い、腹を怪我して子供が産めない、という設定でしたが、

実際は、一男一女に恵まれ、男の子は、「韓王」という地位に就き、李かつ(徳宗)との勢力争いにならなかったのかな・・?と疑問が浮かんだので、

パラレルのほうに聞いてみたら・・




(パラレル・ワールドの答え):「李淑は、もちろん独鈷貴人の男子を帝位に就けたい、という気ももちろんあった・・。

・・あったのだが、親(沈氏)を失った李かつ(徳宗)の孝心、その親への孝心が非常に深く、もしかして、この子が一番親への孝心がずばぬけて優れてある、それは母親に対してだけでなく、もちろん父親である自分に対しても・・・。 だからそのすばらしい孝心に免じてこの子を帝位につけよう、と思った。」のだとか・・。






なるほど・・。






もしかしたら、この物語のパラレル的隠れテーマは、




”孝心(親を思う心)・・・”




なのかもしれませんね・・。






『絢爛たる一族』

カテゴリ《歴史人物霊視

No.8





阿勒邱、という女性は、「ナシ族から出世した賢くて美しくて性格のよい正しい理想的女性」として後世に伝わっているようですね。

つまり、中国のナシ族、という民族の伝承の中で、

「理想の美しくて賢くて性格も良いすばらしい女性」、

つまり、ナシ族女性のあこがれの女性、として語り継がれているようです。





どのような女性だったのか、霊視によれば・・




木増さん(霊)の言をお借りすれば・・

「も、もうね・・ そこに立っていてくれさえいればよいような・・美しい女性・・」だったのだとか・・。

木増さんは、容姿的にとても気に入っていたようです・・。





阿勒邱役の女優さんは、韓国人女優のチュ・ジャヒョンさんでしたが、









実際の容貌は・・


霊視では・・ 

「顔が小さく、目がぱっちりした、明るい顔立ちの女性・・」とのこと。







阿勒邱役=チュ・ジャヒョンさんの顔立ちは、目がパッチリというよりは、奥二重でキリッと引き締まったシャープな、”賢い” 感じの顔立ちですもんね・・)

霊視によって、視せていただいたお顔は・・

一言で言うと・・、

今で言う、いわゆる

「きれいな おねえさん」

という感じ・・。





余談ですが、『絢爛たる一族』の中で、私が一番「美人だな〜」と思ったのが、阿照さん役女優(苏倩薇)さんがとてもおきれいだと思いました(ミステリアスな一重まぶた美人、というのかな・・)。








”阿照” 役というのも、ドラマ中の設定ですよね・・






●木 増


やっぱり、”木府” といえば、「木増さん」なのですが、一番の重要人物(中心人物)というか・・

(そんなこといったって、私だって、このドラマを見て初めて知ったのですが・・ ^^;)

(「麗江古城」、というのも、知っている人は知っているのでしょうが、私はこれまで全く知らなかったんで、生きているうち、もし機会があれば、ぜひ皆で訪れてみたい、と思いました・・!)



パラレル・ワールド(天界・神界)の霊視によれば・・

木増さんは、生来、頭が良く、性格のあらゆる点で、親(父親)に瓜二つな所があって(←ここら辺の性格的描写は、ドラマでも同じように表現されていましたね。)、

それは、体は別でも、心は全く同じ人物・・かのような感じで、親子してとてもよく似た考え方をする人物だったらしいのです・・。



(↓以下、しばらく、天界・神界の神様の独壇場=つまり ”一人語り” がしばらく続きます・・^^)

木青さんは、木増さんが子供の時分に、

(木青):「ここにある木を植えようとしていて、実が成らなかったあかつきには、ここの木を切ってしまおうかと考えたことがあったのだが、(実は付かなかったけれども)花をつけ、このように美しい花のなる木々が育った、だからここで花や実を育て、それをお前にあげるから、それを慈しむようにと、”木増” と名付けた・・。だからお前には、ここ(麗江)にいて、木府の土司として、木や花・実(自然の美しい麗江の地)を愛し守り抜く使命があるのだ・・。」




「麗江には、ナシ族の言い伝えの残る霊峰=※玉龍雪山があり、そこの雪解け水を利用する、生活用水路が発達し、麗江の地を潤した・・というんですよね・・。」

(わたしはよく知らないが、神様がおっしゃるには・・)




でね、麗江古城という地域一帯は、そうした自然の恵みを大いに利用した地形なのだが、

それはね、とっても、外敵侵入にもよく役に立った・・。




つ、つまり、木青さんが増やした木を木増さんがさらに増やしたように、

とても繁栄したわけよ・・ 第19代土司・木増さんの代に・・・!

それで、それは、明の朝廷から一目置かれるほどの麗江地方の大豪族だったわけ・・。





=============================




・・それでね、阿勒邱さん、というのはね・・

麗江地方のある地方豪族のお嬢さんで、(←※ええとね・・ 私の語りではなくて、まだずっと神様の一人語りが続いているのですけどね・・汗;)なかなかね、見目麗しいはっきりした顔立ちのおやさしい美人だったのでした・・!

(木増さんが、木府※麗江の城※の外にいる時に出会ったようです・・)

だからね、木増さん・・ 惚れてしまったの・・ 一目で・・!

目がぱっちり・・!@@/ で、かわいらしくてやさしそうで・・

だらかね、要は「一目惚れ」だったのよ・・!

私のそばに置きたい・・! ってね/♪





(↑↓==ええと^^; まだまだ続きます ”神様※精霊さんの一人語り” ^^;汗↑↓・・・・・・・)




・・でね、二人は婚礼を挙げたワケ・・ でもね・・ もうすでに木増さんには、すでに、3〜4人(側室や側女含め・・)がいたの・・。

中でも、阿室宇(正室) は、なかなかやり手の頭の良い小利口な女性だったわけ・・。

だけど、阿勒邱さんは、上手にうまく立ち回ってやり終えたの・・ 土司・木増さんの3、4番目(※身分的な序列だとか・・)の妻として・・。

だからね・・ 阿勒邱さんは、そんなにね・・・゚゚・。 ドラマのように、唯一人の妻、というわけじゃなかったんだけど・・、それはもう、寵愛も深くて、やさしい愛情を注いでもらっていたの・・。

だから、 ”特別” というわけじゃなくて・・

。。そうね。。 やっぱりね、他の妻の女性達にも同じようにやさしいんだ・・ 木増さんて。。

そのように ”やさしい人・・





阿勒邱さんはね、そんな木増さんを、やきもきしながら見ていたんだ・・本当はとってもやっかみ深い・・(← この辺は、ドラマとはまるで違いますよね・・;)





↑以上、神様の一人語りおしまい・・☆

(※子供のような語りでしたが、今回は、わたしが急いで取りまとめようとしていたために、

神様が、より早く伝わりやすいかと今回は神様の声が途中から変わって、精霊さんの声を借りて続きを伝達されたようです・・@@;/)だから、最初は神様の声だったのが、途中から精霊さんの子供のような声音に変わったのでした・・。



=============================






●木 青


すごーーーーーーく 気になったの 木青さん。。




木青さんは、木府の世襲土司(世継ぎ)としてやんごとなき人生のはずなんですが、なぜか、30歳以前に早世されているんですね・・・。

(ドラマ中では、弟との相続争いに悩み、自殺する・・ という設定でしたが・・)




でね、霊界の神様や軍荼利明王様、上座部菩薩様、天界・神界の神様。。などなど

総動員で視てもらったんですが・・





パラレル・ワールドが伝えるところによれば、

木青さんは、大きな苦悩を抱えていたのだとか・・。

それは、

「麗江の地とナシ族の民族の文化・伝統が、明朝(朝廷)の漢化により滅びてしまわないか・・」


という大きな懸念だったようです・・。

う〜〜ん。。 なるほどーーー!!





けっこうね・・ 思い詰めるタチだったみたい。。

いろんな事で・・

先ほどの、ナシ族の伝統文化の存続もそうですが、

自分は文人で、書ばかりやっていて、麗江の民衆の支持を得られていない、

という焦り。。

などなど。。

本当はね、出家して隠遁したかったみたい。。

だけどね。。

でね、さらに

何やら重い病(筋ジストロフィーのような?)に冒されていたようで、

そんなこともあり、玉龍雪山の句を残して、出奔し、服毒自殺をして亡くなった・・

ということらしいんです・・・・・。






悲しすぎます・・・。









木青さん・木増さん、共に、

ナシ族や麗江についての、たくさんの書を残されたようで、

お二人とも、麗江地方とナシ族の文化・経済の発展に貢献されたようです。






●阿室宇と安虎とのロマンス設定


(わたし):「ドラマ中の、阿室宇と安虎とのロマンスですが・・」
(パラレル):「あるわけないでしょー!! 木府の第一皇妃様ですよ、ありえん・・。」
(わたし):「ですよねー!!」
(パラレル):「でも、もしかしたら、安虎のような”義賊”的若者というのは、当時いたのかも・・」
(わたし):「でも、なぜね、『絢爛たる一族』の中で、阿勒邱だけが、第一夫人、のような形にしてまとめたのか・・? それがギモンなんですけど・・。」
(パラレル):「ナシ族の、「”「純愛伝説(「心中」)」” 的側面を強調したかったんじゃないか?」



=わたしの”付け焼刃”的(笑)歴史知識で調べてみると・・・。=



確かに、ナシ族の伝承として・・

「『絢爛たる一族』というのは、明代に、麗江の地を治めた木府一族の物語なんですが、
明代に入るまでは、
ナシ族という民族は、自由恋愛だったのが、明代の朝廷の体制で、自由恋愛が禁止になった。
で、ナシ族の若者には、純愛を貫くため、自殺する者も多かった。。」

という伝承があるようなんですよね・・。

(ドラマ中では、阿勒邱と木増さんが、雪山で心中するシーンがありますよね・・)





ナシ族というのは、そういうのを大事にする民族なんだなぁ。。
ステキですね。。





霊視により視せていただいた阿室宇さんは、すごく美人だと思いました・・!

(日本的美人で、若き日の松坂慶子さんは妖艶すぎるけれども、もうちょっと化粧が薄い感じできりっとした理知的な顔立ちの美人だと思いました。感じが伝わったかしら・・。)




______________________________________




で、ドラマ中では、木隆さんとの確執と謀反未遂や、西和の木府への復讐劇、など、軍部が暗躍したり、そのようなシーンもありましたが・・

神様の伝達では、木増さんの代は、ほんと〜〜うに平和だったのだとか・・。

(☆何世代も麗江の地を治めた木府一族の、まさに、お父さんの木青が息子の木増に伝えたように、

明代に入って第19代土司・木増の時代に木々がたくさん実るように、麗江の地が文化的・民族的に、最大限に発展した、ということですね☆)


(もちろん阿勒邱が西和の姪で、木府への復讐のために送り込まれた、とかというのは、あくまでもドラマ中での設定です。)





いやいや〜

神様とパラレルの伝達が盛りだくさんだったために・・

・・わたしの疲労が極限に達し、、

ところどころ、「ナシ族」が「ナス族」になってたりして・・


 (神様たち「どっ」/笑 ^^)







『絢爛たる一族』が見れる動画配信サイトを探す

※(注:)多くの動画配信サイトでは、一定期間のローテーションで提供する動画が終了し変化していくので、どこの配信会社でもいつも必ずやっているということは全然ないです。
下の検索窓に、 「絢爛たる一族 ドラマ配信」(「」は不要) と入力すれば、やっている可能性の高い動画配信会社の候補が見つかります。
  




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馮太后@(前半):中国歴史ドラマ『王女 未央』

カテゴリ《歴史人物霊視

No.9





『王女 未央』、家族スピさん達とわくわくしながら観ました。

実は、『王女 未央』、最初1、2ぐらいは、さほどおもしろいと思わなくて、主演のティファニー・タンさんもそれほどきれいと思わなくてノーマークだったのですが・・・

なんと主演のこのお二人(ティファニー・タンさんとルォ・ジンさん)、ご結婚されたそうなんですよね^o^/

なんかヘンな入り方だったのですが、「へーーー」っと、なぜかそれから気を入れて見るようになって、そのうちにティファニーさんとルォ・ジンさんの見た目の美しさと物語の面白さがよく分かってきたの・・。

いやいや〜 美男美女ですよねぇ・・(うっとり・・)。

もうそれからは、『王女 未央』にどっぷりはまったのでした・・。





さて、霊視に入りましょう・・。

この物語で霊視したい人物は、おもに二人、未央(文成文明皇后=馮太后)と文成帝を中心に実際の登場人物や時代背景などパラレルの神様に教えてもらいましたよ・・!



(※まず、その前に、参考資料として、下記のウィキペディアの概要をお読みください↓)


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%88%90%E6%96%87%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E 以下、wikipedia より抜粋:




文成文明皇后




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





文成文明皇后(ぶんせいぶんめいこうごう、442年 - 490年9月)は、北魏の文成帝の皇后。馮太后(ふうたいごう)と称されることが多い。



生涯


父は秦州・雍州刺史馮朗。母は王氏。父の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族であるが、この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に降って重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくし幼かった馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。14歳の時、太武帝の孫で第5代皇帝である文成帝の貴人となった。後に皇后となるが、文成帝は465年に若くして崩御し、彼女は悲しみのあまりに文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げしたが救出されて一命を取り止めた。




文成帝の跡を継いだ息子の献文帝の代には、義母として皇太后として補佐にあたった。しかし献文帝が成長するにつれて対立が生じ、皇太后は献文帝を脅迫して471年には息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させた。しかし献文帝も報復として太皇太后が寵愛していた家臣李奕を殺害したため、476年に献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握した。



太皇太后は抜群の政治手腕を見せた。484年、同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など様々な政治改革を行ない、北魏の全盛期をもたらした。一方で丞相乙渾など政敵に対しても容赦なく処分し、謀反の目を事前に摘み取る切れ味も持っていた。



晩年の太皇太后は寵愛する家臣だけを側に侍らせ、斉の使者が美男子だったことを知ると自らの宮殿に閉じ込めて帰還を許さなかったなどの行状も伝えられている。490年9月に死去。享年49。




人物


文成文明皇后は事実上の北魏の女帝として抜群の政治力を見せている。彼女の施策は孝文帝により受け継がれ、北魏は全盛期を迎えることになった。


異常に権勢欲の強い女性であったと列伝に記録されている[1]。




文成文明皇后と孝文帝[編集]


母子説



文成文明皇后と孝文帝は系図の上では血の繋がりは無いとされている。ただしこの両者は母子だったのではないか、とする説がある。



孝文帝が生まれた467年、父親とされる献文帝は満年齢で13歳で、当時とはいえ子を成すには早すぎるという点[2]。



太皇太后の死後、孝文帝が義理の祖母のために重臣の反対を押し切って、中国で本来は自らの父母に対して服する喪である「3年の喪」に服した点(ちなみに孝文帝の生母とされる思皇后李氏は太皇太后により殺害されている)[2][1]。



孝文帝が太皇太后の死去まで自分の産むところを知らなかったとある点[注釈 1][1]。



孝文帝が太皇太后の一族を厚遇する一方で、自らの生母とされる思皇后と李氏の一族を冷遇した点[注釈 2][1]。



権力欲が異常に強かったとされる太皇太后であるが、467年に孝文帝が生まれると同時に、何故か彼の育児に専念して政務を一時的に離れている点[1]。



当時の史書が太皇太后と孝文帝の関係を「母子」と表現している点[1]。





父親は誰か


孝文帝の父親は献文帝とする説が根強い。これは当時、皇太后の勢力が伸長してその圧力があったとしても、北魏を支える鮮卑の重臣が皇位継承の正統性のない、あるいは疑わしい太子への譲位を認めるはずがないからである[3]。献文帝が太皇太后の圧力により譲位を余儀なくされた際、献文帝はせめてもの抵抗として叔父の京兆王拓跋子推に譲位しようとしたが、鮮卑重臣の多くが「父が子に位を伝えるのは古来からの定めであり、北魏においてもしかり。皇太子は正統にして聖徳はつとに明らかである」と反対し、孝文帝への譲位を求めている[3]。太皇太后の没後から6年後の496年に孝文帝の漢化政策に反対する鮮卑重臣が反乱を起こし、その際に反乱軍は孝文帝の皇太子の元恂を旗印にしているが、孝文帝の政治路線に反対する派閥がそもそも正統でない孝文帝の長男を擁立している点なども考慮されている[3]。ちなみに太皇太后の夫であった文成帝の可能性は全くない。何故なら文成帝は465年5月に崩御しているからであり、467年8月に生まれた孝文帝の父親としては説明がつかない[4]。




献文帝は467年の段階で満で13歳、皇太后は26歳であった[4]。ただ、北魏の皇帝は多くが若年で子を成しており、献文帝は父親が15歳の時、文成帝は13歳の時に子を成しているので別段不思議でもない[4]。これはすなわち胡族の間にある、父親の生前の夫人がその跡を継いだ子の妻となるという風習(生母は除かれる)、つまりレビラト婚の風習だったのではないかとされている[4]。




ただ一方で、献文帝は太皇太后により毒殺されているのに、孝文帝が何故生前ならともかく、没後も太皇太后やその派閥や徒党を処分しなかったのかとする疑問もある[5]。これに関しては、漢化政策を推進する孝文帝が人一倍孝養の念に厚かったため、とされている[5]。




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




↓ さっそく、神様(天界・神界)に霊視で視せてもらいましょう・・!



●未央(文成文明皇后=馮太后)

まずは、ヴィジョンにより視せていただいた実際の文成文明皇后なんですが・・




っっ・・ 小柄な少女のような容姿・・(中華系というよりも、日本人的な落ち着いた幼い顔立ち。一重まぶたでも目は小さくなく、少女のような落ち着いた淡々とした品のある顔立ち・・なかなか賢こそうです。※注:入内した頃のヴィジョン※)

パラレルの神様のお伝えするところによれば・・

「”中学生”のような容姿の女性であるが、頭はピカ一。軍略家的な素養のある女性。」とのこと。

この ”軍略的な素養のある” という箇所をよく覚えておいてくださいね、後々説明しますんで・・





●文成帝

ウィキディアによれば、仏教を保護し、おだやかなイメージのある文成帝ですが、パラレルの伝達によれば罪には相応の極刑を課す、という容赦ない面も持っていたようですが、安定した治世を築いた。

(※為政者には、いろんなタイプがいますが、正しい政治を行った帝ですね。)


中華系美男子ルォ・ジンさんが演じていましたが、実際は・・

「ずんぐりしたおじさん」のような容姿の男性・・。

(若くして亡くなられていますけど、おじさんのような容姿の男性だったようです)

(身だしなみをちゃんとした衛生的なタイプだったみたい・・ えぇ まぁ やんごとなき御人なので・・・ )





●李長楽(チャン・ルー)

李貴人のことなんだと思います・・(献文帝のお母さんの・・)。

実際の李長楽は、わりあい社交家で気取らず、派手な道楽好きの女性・・、とのことです。

な、なるほど・・。いわゆるあか抜けた気の利いた女性、、とかそんなところですかね・・。



ドラマでは悪女として描かれてますが、とんでもない・・






うーーん・・、

ドラマと実際では、ストーリー設定がだいぶ違うところもあるようですが、

(!!※馮太后と文成帝さんお二人の御霊は、ドラマと史実があんまりにも違っている!、もう少し史実に近いドラマはないのか・・!!と訴えております・・!)




実際は、未央は、李家に入っていたというのはもちろんナシで、叔母の馮氏が魏の皇帝に嫁いでいた=つまり、魏の有力皇族の姪っ子だったわけですね。未央は、北燕の皇族の娘、にあたるのですが、北魏に滅ぼされ、父の馮朗は罪状により殺されて、身寄りを亡くした幼い未央は、北魏皇帝に嫁いでいた叔母の左昭儀・馮氏のつてで北魏の宮廷に入ったのですが、左昭儀・馮氏の権勢もあり、北魏の宮廷でもずいぶん可愛がってもらったようなんですよね・・霊視によれば・・。

文成帝も、「かわいい♥」って思ったみたい・・。






その縁故で魏の後宮に入ったわけだから、そんなわけわかんないアドベンチャー的設定で李家になぞもちろん入っていなくて、

滅ぼされた属州の有力貴族の娘が、普通に魏の後宮に輿入れしたわけ・・。

由緒正しい人なんですよ・・ 馮太后は・・。






(ちょ〜っとねぇ、ドラマを盛り上げようと、設定が実際とすごく違っているようなんですよね・・)

(↑お二人も、そこの辺りが不満みたい・・ ドラマ自体はおもしろいですけど・・)






私はね、物語を離れてウィキペディアで語られている ”史実” のところで、もしかしたら、実際は、文成帝は、側室である李長楽のほうを寵愛したのでは・・? なんて思ってたんです・・。

(李貴人(=李長楽)は、史実※伝えられているところによれば、大変な美女で有名だったようなので・・。)
ですが、霊視によれば、実際の文成帝はフェミニストで、公平にどちらの女性も大事にしたそうなんです・・(驚! 珍しいですよね・・ 普通、中国の後宮、というと、かならず皇帝にえこひいきされる ”寵姫” ってのがいるもんです・・)

女性には、公平にやさしいタイプだったようですね・・ 文成帝は・・。






(文成帝ご本人と同調して繋がったので、どちらを愛していたのか聞いてみました・・!

答えは ・・・

なんと馮太后なんですって・・!)







というのはね、パラレルの神様が説得力のある説明をくださったんですが、

さきほど、文成帝は、 「ずんぐりしたおじさん」のようなルックス、と書きましたよね。

そんなこともあってか、

文成帝という人は、いわゆる女性に溺れるタイプではなく、

馮太后のような誠実なタイプを好ましく思っていたのだとか・・。

皇帝という立場におられましたが、まじめな誠実な男性だったようです。

(仏教の信仰心篤く、北魏の民をねぎらい良い国にするため善政を敷いたパラレルの神様にも覚え目出たい良い帝だったそうなんですね。)

李長楽(チャン・ルー)は、蝶よ花よ・・と華やかな派手な男性にモテるタイプなので、大事には接したようですが、タイプ的には馮太后のそのような誠実さをとても自分と近い者として好ましく思い、愛情を注いでいたようなんです・・





だけどね、容姿的なことで書き連ねていたら、文成帝さん、怒っちゃいましたけどね・・(汗;(゚Д゚;)ヤバイ)





そ、それでね・・、

「孝文帝=※文成帝の孫、の父親は誰か」というウィキの説明にあるように、

文成文明皇后と孝文帝の親子説、文成文明皇后と献文帝のレビラト婚による親子説など、

いろいろ憶測されているようですが・・





霊視によれば・・

未央さん、自分の祖国(北燕)を滅ぼされ、北魏の後宮に入り、文成帝の妃となるのですが、

子供ができなかったんです・・

(*国は違いますが、韓国の朝鮮王朝の正室の方など、子供ができない人ってけっこう多いのです・・)





で、未央さん、子供ができなかったものだから、

「自分の子ではなくても、夫(文成帝)の子供たちを一生懸命かわいがろう・・」と思ったようなんですね・・。

(すごく頭のいい人で、”軍略的な素養のある” 人だから、そういうのももちろんあって・・)

で、

しかも、しっかりちゃんとした帝位につける素養のある子供を見込んで、自分の子供のようにかわいがったのだとか・・





献文帝は、李長楽(チャン=ルー)の子で、折り合いが悪くなり敵対してしまうんですが、

献文帝の子である孝文帝は、未央から見れば、子であり孫のような感じだったのでしょうし、そうやってすごくかわいがってもらったし (だから太后の死後も考を尽くしたのでしょうし・・)、

だから、

孝文帝は、

夫(文成帝)亡き後、 ”軍略的な素養” から、

 ”布陣を敷き” 、絶対的揺るぎない確固たる地位を築いていた馮太后の言いなりというか・・、そういう感じだったみたい・・。






この『王女未央-BIOU-〜錦繍未央』というのは、

中国のネット小説『錦繍未央』を元に作られたようで、

「錦繍」というのは、わたしは中国語は分からないですが、

”すばらしい” とかそのような意味ですよね・・





中国王朝の後宮で子供がいない、ということは、圧倒的不利な状況ということですし、

ふつうであれば、勢力争いからは疎外されるか、ヘタすると自分も潰される・・

後継者争いで陰謀渦巻く王朝の後宮で、頭脳戦により、自分の地位をしっかり固めながら、政治的にもお得意の ”布陣敷き” で国家政策を行い、盤石な体制を築いた・・

(※王朝史で、女性で子供なしでこのような権力を手中にできる例は珍しい です・・)





まさに ”「錦繍」” で、

頭がすごくいいだけでなく、まじめでさっぱりした正しい性格のすごく良い性格の女性だったわけ・・





だから、私、そういう馮太后さんの正しい性格、すご〜く好きになっちゃって、

文成帝さんのフェミニストで誠実で愛情深いやさしい性格も好ましいし、

同居のスピさん共々、皆で、

馮太后さんと文成帝さんのカップルの御霊がとこしえに幸せであるように、

祈願しているのです・・・。








野の花が似合う二人・・・

(実際は、素朴な感じのお二人なんです)






でね、後になって、




馮太后さんに関して、

とてつもない悪いこと が分かったの・・・。

(それは、文成帝さんを激怒させることなのですけど・・。。)




文成文明皇后(馮太后)については、『王女 未央』の内容に合わせて、このドラマの物語 の ”雰囲気” を壊さず、楽しむために、とりあえず今回はここまでの内容に留めます。一回ではなかなか書ききれない面がありますので・・

非常に興味深く、

まだいろいろと気になることがありますので、

馮太后さん(文成文明皇后)については、

今回を「前半:」として、また今度、別記事で(後半として)書いていきたいと思います・・





     
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『賢后 衛子夫』その@登場人物の実際を霊視

カテゴリ《歴史人物霊視

No.10

こんにちは エティースです。

同居のスピさん達と以前いっしょに見ていた動画でよかったものの一つに、『賢后 衛子夫』 があります。








衛子夫、というのは、それまで全く知らなかったのですが、

衛子夫(えいしふ)というのは、、前漢の皇帝・武帝の后で、低い出自(身分)から、皇帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性です。




霊視により、実際の衛子夫やその周辺人物たちが実際はどうだったのか、ヴィジョンにより、実際の容姿やパーソナリティーを視てみましょう・・・。





●衛子夫 ・・・ 古代中国で、大変低い身分から皇帝の寵姫となり、皇后まで上り詰めた衛子夫______。
いったい実際はどんな女性だったのか、非常に興味ありますよね。

後漢の武帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性の容姿も含めて非常に気になるところです。

パラレル・ワールドによれば、非常にクセのある顔・・

ヴィジョンによる実際の容姿は ・・・、





「求心的なネコのような顔」





これがですね・・

わたし的には、モンゴル女性特有のクッキリ系の顔の漢民族版・・ とでもいいましょうか・・

美人というよりは、かなり特徴のある求心的なクッキリ系の顔です。

頬骨のぷっくりした丸顔ですが、歌妓(※歌や舞を披露する) だったせいか、痩せ型の小さい顔です。













ですので、ドラマ中では、なごみ顔のワン・ルオダムさんが演じてらっしゃいましたが、ヴィジョンによる霊視では、印象がまったく違います・・!

古代の美人の基準はどうか知りませんが、ヴィジョンでは、いわゆる ”美人” ではありません。
(パラレル・ワールドの伝達でも、やはり古代中国の美人の美人基準でも、どちらかいうと美人ではなかったようです。)

母親は非常に身分の低い婢(=奴隷、のことだと思います)の娘が、皇帝の寵愛を受け、皇后にまでなるなんて、尋常ではありません。

中国や韓国の歴史で、まれにそのような女性(低い身分から身を起こす)がおりますが、バカでは絶対になれませんので、そのような女性は、やはり、とても頭の良い女性だったはずです。

(容姿などだけで、時の皇帝の寵姫となって権勢を奮うタイプもおりますけどね・・)

パラレル・ワールドの霊視では、類まれなる才気ある女性、ということです。
計算づくの頭脳派、というよりも、才能あるタイプ、ということでしょう。


霊視ではなく、歴史的史実でも、武帝は、非常に才気・才能ある人材を好み、身分を問わず重用したそうです。
おそらく、武帝は、衛子夫の才能をとても高く評価し、そういった才能を含めて寵愛したに違いありません。







●衛青(えいせい)

私は、『賢后 衛子夫』の物語の最初のほうは、衛青役のシェン・タイさんの容姿が、ちょうど・・兵馬俑そっくり・・!と思って、ちょっと面白系の顔のように思えて、衛青という人物にあまり注目していなかったのですが、
物語が進むにつれ、衛青という人物が男性として非常に魅力ある人物に思えてならなくなってしまいました・・・!。

ヴィジョンによる実際の容姿は・・ いかめしい角ばった顔の、しっかりした顔立ちのがっちり系の大柄な武人。
(・・ですから、劇中で演じていたシェン・タイさんの青年のような容姿とは全く違います・・!
パラレル・ワールドによれば、当時の古代中国での美男子の基準は、ガッチリ系の男子だったんだそうな・・^^;)

やはり、古代中国の乱世で女性にモテる好男子の条件は、・・・ズバリ、ガッチリ系の強そうな男性・・!
なるほど・・!








●衛媼(えいおん)

姉は、皇后にまで登り詰め、弟は、軍の兵権を一手に収め大将軍にまで出世した、そのような子供を産んだ母親のパーソナリティーや教育もとても興味深いものがあります。

衛子夫・衛青の母親は、身分は、婢の女性で、被征服民=つまり、戦争捕虜などの子孫・犠牲者の奴隷なのでは・・? と思いましたが、パラレル・ワールドが伝えるところでは、非常に身分の低い下女 (婢=はしため) ということでした。
一介の婢の女性の記録など後世に残っているはずもありません。
皇族となった衛子夫でさえ、絵姿すら残っておりませんので・・。

そんな一般に知られることのない、パラレル・ワールドが伝えるところによる衛媼さんの実像は・・

飛び抜けて美しく、才能ある女性・・とのこと。

つまり、婢でありながら、飛び抜けて美しい才能ある女性・・

パラレル・ワールドからの伝達・ヴィジョンによれば、衛子夫の母親・衛媼(えいおん)という人は、低い身分ではありながらも、顔立ちの整った化粧を全くしなくても、きれいな女性、という感じですね。

化粧バッチリタイプの衛子夫とはまさに対照的・・!

(※実際に同調してくださった衛子夫さんの魂が伝えるところによると、

「化粧パフで、パタパタっ」というしぐさをしてくださいました・・驚^^;/)





パラレル・ワールドが伝えることろによれば、衛媼(えいおん)さんは、

とくに絵に秀でた才能があり、
もし世代と好機が合えば、武帝でさえも、その才を認めただろう、寵姫にもなれたであろう・・、というような女性だったようです。

衛氏一族の優秀さは、DNAの成せる技だったようで、
子供たちが揃いもそろってその時代でそれだけ出世したり、抜きん出ているということは、
おそらく情操教育(家庭での教え)もさぞかしすばらしいものであったことは、間違いないと思うのですよね。


劇中でしばしば歌われる、
「富むも楽し貧するも楽し
甘きも楽し苦きも楽し
苦き甘きも 安く楽しく
一家が睦み 心を強く」
これは、真実だったのでしょう・・!


衛媼さんのように、容姿も美しく才ある心も豊かな素晴らしい女性が身分制度と時代性に抑圧されていたのは、大変残念なことです。










●前漢という時代背景と妖術(霊感)?

劇中でも取り上げられているのですが、この物語の一つのキーワードである 「占い・妖術」について触れてみましょう。

武帝自身も、そのような不思議なモノに大変興味を持っていたようです。

私のような心霊世界の同調者(※私の場合は審神者<さにわ>)というのは、人類始まって以来、古くから世界各地におり、その不思議な心霊世界のメッセージ伝達により、それは、霊感占い師であったり、時の権力者のアドバイザーのような位置付けで存在していたのだと思います。







このドラマの主人公・衛子夫さんは、武帝の寵愛が他の後続の妃に移るにつれ、衛子夫さんを排除しようとする勢力(江充)により「巫蠱の禍(※皇帝に呪術をかけた嫌疑)」(wiki・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E8%A0%B1%E3%81%AE%E7%A6%8D)の関係により、自殺を強いられ亡くなる、という悲惨な亡くなり方をしています。

武帝自身、そのような心霊的な不思議な力や神的能力に非常に興味があったようで、このドラマ中にも

楚服(そふく)という女性妖術師(巫女?霊媒師?)が出てくるのですが(実在の人物)、腰斬刑(ようざんけい)という残酷な腰を大きなノコギリ?様なモノで切断する刑で亡くなっているのですよね・・(かなり怖い終わり方・・)




<<パラレル伝達「楚服(そふく)」>>

「たゆまぬ努力により妖術を習得。小虫を使った毒を作り、陳皇后に渡しそれを衛子夫に飲ませるはずが叶わず、他に陥れる策に呪術をもって手を貸した大逆罪により刑死した・・」

私:「霊能者みたい・・?なのだったんですかね・・??」

パラレル:「呪術者。呪術者というのは、霊感や霊能力がなくてもできるが、楚服はかなり先を見通せる霊感があった。・・が、無残な最期を迎えてしまった・・。その力を逆に武帝を導くような使い方をすればそんなことにはならなかったかもしれない。悪事にその力を使ったゆえ、残忍な最後を遂げた・・」








・・というんですよね・・。







現代の先進国である日本であれば、このようにわりと安全に情報発信もできますけど、

古今東西、はるか太古から、霊の世界と通じた者は、時代と場所が悪ければ、ひとつ間違えば、非常な危険(命にも関わる)にさらされるリスクがあるのです・・(大〜〜冷汗;;;;!)。










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則天武后(武則天)を霊視

カテゴリ《歴史人物霊視

No.11

天界・神界の言では、

則天武后(武則天)というヒトは、一言でいうと・・・





「かなり垢抜けておしゃれでやっかみ深く、かなり頭がキレる人・・・」




とのこと。






天界・神界からのヴィジョンでは・・・








則天武后(武則天)





(どちらかというと・・ しっかり者顔の大昔の日本人女性顔・・?)






「見た目麗しいタイプというよりも、派手でおしゃれで頭脳派の、残忍でわがままな女性。」とのこと。






かなりたくましくギッチリとお化粧をするような人らしいんだけど、伝達によれば、男性の気をひくのはほどほどにしておいて、どちらかというと理知的な人なんだ、ということらしいのですよね・・。




かなりね、頭で考えるタイプ・・・。




かなり残忍な粛清や拷問刑をし、しかも、それは政治的な正当な理由によるものではなく、私怨(個人的な恨みつらみ)から行った、というのですね・・。

(だから、あまり良く評されていないのかもしれません)







ヴィジョンでは石の中に閉じ込められた則天武后が視えるんですよね・・。

??・・

(どういうことかというと、”石のフタ” をしてしまう刑罰・・ というのをだいぶやったようなんだとか・・??? 圧死・つぶしちゃう・・ってことですかね・・)




※なんで、「石の中に閉じ込められた則天武后が視える」のかというと、自分の犯した罪業を亡くなってから贖っている、ということなんですが・・




拷問刑については、他にもやっているんですが、具体的内容は恐ろしいので割愛しますが・・









「あまり色恋だとかそういうのではなく、残忍でわがままで暴虐な女性・・」とのこと。







あとは、いい加減なことは許さず、かなり頭が切れて残忍でハードでタフな女人・・




二代の皇帝(太宗・高宗)にわたって妃として仕えたなんて、

そのような頭が切れて冷たいような女性に男性が惚れるものかな〜(´・ω・)??とわたしがギモンに思っていたら・・・、







(天界・神界):「男を支配できる女性・・。 すべからく、男の気持ちを掌握しコントロールする術(スベ)を心得た女性・・・(怖!)








中国ドラマ『武則天』では、絶世の美女ファン・ビンビンさんが演じてらっしゃいましたが、




霊能伝達によれば、ドラマ中のあのようなやさしくて頭の良いタイプ、というよりは、かなり冷たい感じの頭のキレるタイプ、という伝達でした・・・!







則天武后、といえば、

「自分の女児を殺害して、その罪を他の妃になすりつけ、排除した・・!」、というエピソードが有名ですが、

霊信によれば・・・

「それは、則天武后が直接女児を殺したわけではなくて、侍女が誤ってその子を落としてしまって頭を打ち付けてしまって亡くなってしまった(侍女の過失)・・・、それで、その機をとらえて邪魔な妃を陥れた・・」というのです・・・。

(もちろんそんなことどの歴史書にも出てないんでしょうが・・ あくまで霊能伝達ですけどね・・)




(則天武后ご本人いわく、「自分が子を殺したと、周囲が勝手に思い込んだ・・」というのですよね・・。)







確かに、どんなに残忍でも、自分の子を殺めるのはおかしいですし、しかも皇帝との子供ですしね・・。




確かに、それは本当なのかもしれません・・。









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